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新しい視点で○○○を活動する BUILDER ASSOCIATION

水道の歴史HISTORY

向日市水道史 


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<向日市水道史誌>より抜粋
●昭和初期、向日町の水事情は、飲料水や家事用水のすべてが各戸の掘抜井戸や、手押ポンプ、自噴する共同井戸、河川水でまかなわれていた。
「・・・国鉄東海道本線に沿って東側一帯の地域及び西側、国鉄向日町駅から西国街道を西へ寺戸東田中瀬。西田中瀬地域、及び南部森本上森本など一般に東部低地、更に上植野山ノ下地域などでは、水質が極端に悪く、水量はともかく、すべて鉄、マンガンが含まれ赤茶色、或いは薄く白濁している。

 いわゆる”かなけ”の水で、飲用はおろか、洗濯にも使用できず、各家庭では水槽に棕櫚(シュロ)や、砂、砂利、木炭んどを入れて濾過した水でないと使用できなかった。僅かに向日丘陵東部斜面にあたる阪急沿線両側では井戸水として使用でき、自噴する地下水を利用した共同井戸が各所に見られた。

 一方高台にあたる向日南山、通称五ツ辻近辺では、西へ約150m下がった向陽小学校々庭南斜面に自噴する地下水を汲んで、毎日リヤカーや肩でかつぎ上げなければならなかった。」
●昭和3年11月に京阪神急行電鉄(現阪急電鉄)が高槻~西院間を開通、同時に、乗客確保の積極策として、「西向日住宅地」の造成分譲を開始。 昭和4年3月から自社経営として「西向日住宅地」に水道給水事業を開始。 ・・・終戦後、物資不足・物価高騰・電気事情の悪化からくる経営の将来性から自治体移譲の方針を立て、昭和26年9月に向日町へ無償譲渡(8年間一定額修理補償付)。
「・・・町唯一の水道普及地域である西向日区にとっては、阪急が経営する西向日水道が文字とおり命の源であり、20年近くの給水実績を持つ阪急から、その全てを水道未経験の町に施設一切を移管する、という申し出があったことを知った西向日住民にとっては、非常に大きな問題であった。 

 昭和24年9月には、水道を町営とする場合の住民決議として、①西向日区域内に優先的に完全給水すること。但し学校、役場、警察への給水は認める。②水道運営委員会を設け、その構成人員の過半数を西向日受給水者中より選ぶこと。 という請願書が、193戸の署名捺印の上、9月24日付で町長に提出された。「昭和26年7月20日、町議会が開かれ、全員協議会で議案26号西向日上水道無償譲渡についての審議がされ、町が水道を受け入れる事に決定されたときは、地元西向日住民の意思を十分尊重し円滑な運営を図るため、議会代表、西向日代表で構成する水道運営委員会を設置する旨の報告がなされ、同日の本会議でようやく阪急から西向日上水道譲渡を受ける議決がなされた。 

 水道運営委員会は、議会から2名、地元から5名の7名で構成された。以後この委員会では、西向日給水区域以外への給水するような場合は、①施設能力の検査を行った上で、給水の可否を決定する。②町水道条例の制定、改正など重要事項の諮問に答えることになった。各家庭に水源を持たない西向日地域住民にとって水道は、死活にかかる真剣な問題であったが、西向日上水道の移譲については一応の決着がついた。

 ・・・当時乙訓郡は、向日町を乙訓の中心として2町3カ村で構成されていたが、公営水道事業の開設は、向日町が初めてであり、京都府下では8番目の創始であった。幾多の紆余曲折をへてスタートした町営水道は、あくまでも西向日住宅地の専用水道の域を出ず前途多難であった。

 水道運営委員会での論点は、西向日住宅地の水量確保は当然とし、今後同地域内で建設される住宅用の水を補償することを前提とする地元委員代表の意見に対し、議会選出委員としては、西向日区の実情を十分尊重しながらも、西向日区以外の住民からよせられる強い水道給水の要望を背に受けて、少しでも給水区域の拡張を主張する意見とが対立した。戦後復興のさなか、水質の悪さからくる伝染病の発生も多く、向日町が伝染病多発地区という不名誉な指定を受けるに至り、住民の水道に対する関心はいよいよ高まった。

 昭和27年7月9日議会全員協議会が開催され、向陽保健所々長より、”上水道ができれば伝染病は減少する。毎年井戸の水質検査をしているが、飲料水不適が殆どで寺戸東部地区は、伝染病特別地区になっている。できるだけ早く上水道施設の整備をしてもらいたい”という指導があった。
●昭和28年3月に第1次拡張事業認可、計画総事業費3,200万円(後に2,600万円に減額。昭和27年度一般会計決算額2,539万円)、計画給水人口4,000人(昭和27年10月1日現在の全町人口は9,842人)。町長は、一日でも早く給水できる方法として、上植野島坂から国鉄向日町駅前を南へ延長し、上森本踏切までを450万円の予算で着手することに決定した。

 布設する配水管は、鋳鉄管のように錆による赤水が出ない、工事が簡単で施工能率が良い、値段が安いという数々の特徴がある石綿セメント管とし、銘柄はエタニットパイプを採用。水源の問題は、かねてより交渉していた府営向日町競輪場(昭和25年、町の誘致によって建設されたが、必要な飲料水や雑用水は敷地内に井戸を掘り、場内給水することになった。)の水を使用することで許可を得た。条件としては、電気代の1部を負担する、競輪開催中は使用しないということであるが、この問題は貯水槽を設置し解決できた。

 待望の通水開始は昭和29年7月1日、最初に給水開始ができた地区は、寺戸西田中瀬、東田中瀬の府道両側(上久世・石見上里線)。水道が普及し始めると給水工事待ちの家庭では順番が待ちきれず、1日も早く工事をしてくれという催促が絶えなかった。

 ・・・当時の広報誌によると、第1期工事の完了と、第2期工事の計画が報じられている。しかしこの工事の完了の蔭には解決しなければならない多くの問題があった。森本上森本国鉄深田踏切から向日町駅前を経て西国街道を阪急横断のうえ野辺坂を府道伏見向日線との交差点から西へ競輪場水源地までの給水区域は屋内設備の完了に従い、早いところでは7月から給水が開始され、また物集女街道と番田通の交差点、通称五ツ辻から南の島坂地区は7月から8月にかけてそれぞれ通水ができたものの、五ツ辻から北へ約300m西国街道と物集女街道の分岐点までの向日地区(向日町商店街地域)約40戸の給水開始は11月まで待たなければならなかった。

 その原因としては、水源地と競輪場との高低差が殆どないため、水圧が確保できず井戸の汲上量にも限界があってこのままでは給水不可能の地域であった。当初から予測されたことであるので、西向日浄水場からの給水について地元自治会、或いは地元委員参加の水道運営委員会で、向日地区(向日町商店街地域)への余裕水量分の給水が協議されたが、再三にわたる会議にもかかわらず意見の対立が続いた。町は、西向日浄水場の給水能力を計算し、現状のままでも競輪場の水と西向日浄水場の水で1期工事の給水区域は支障なく給水できるという確信はあった。

 しかし、新規水源設備の建設が待ちきれず給水を希望する世論に対応するため、京都市水道からの分水を受けて給水区域の拡大を図るより方法がないという判断で、4月13日付、京都市水道局長宛に”京都市区域外給水申請書”を提出し市水道局と交渉を続けていた。西向日区の条件は、西向日水源はあくまでも地域のものである。しかし他地域の飲料水事情を考えて譲歩しても京都市水道との接続ができるまでは承知できないということであった。

 この間の事情を”西向日史”によると、”その後、町営水道計画は軌道に乗って進捗していたので、地元の西向日としては一応根本的な不安は解消していた。しかし、京都市上水道の導入の日まで完全給水の線が保たれることを一途に期待していた。ところが町の方ではその日を待ちかねる町民の給水要求が盛んであって、応急策としてその完成までの一時しのぎに、西向日上水道の水を向日区の方面へ給水したい熱望があり、その事で兎角の小競り合いのような事が頻出した。

 この件については、11月に入って、西向日浄水場の水を向日区方面へ給水する問題から、時の自治会長が辞表を出す事になった。・・・”と記されている。町は配水管を布設しているにもかかわらず給水できない向日地区(向日町商店街地域)からの早期給水に対する厳しい督促に苦しい対応を迫られ、現状打開を図るべく、京都市水道からの分水交渉を精力的に進める一方、西向日住民の理解を得るため、積極的な働きかけ行っていた。

 その結果、西国街道と番田街道の交差点、通称五ツ辻に制水弁を設置し西向日水源の水量をみて商店街への給水を操作しても良いが、その都度地元水道委員会と協議した上で、制水弁の操作をしなければならないという厳しいものであった。京都市水道の分水交渉については・・・京都市議会の”市域内でさえ100%の普及に至っていない時期に地域外への給水はもっての外”という強い反対の空気があった中を、連日のように京都市水道局長と話し合いを続け京都市議会に対しても再三陳情を繰り返し、・・・最終的には旧乙訓の京都市編入当時の村長から了解を得ることが条件とされた。

 久我・羽束師・大枝の元村長は向日町の実情を理解され、分水に対する承諾を得た。・・・京都市との分水契約はほぼ見通しがつき競輪場前から物集女街道を京都市境の分水予定地点への配水管布設工事が着工された時に、西向日上水道からの給水を段階的に実施し、懸案の向日町商店街に水道が通水されたのである。・・・町営上水道事業の拡張事業とは言っても、全く特殊な事情を背景とした給水区域の拡大であり、新規受給者と旧来の受給者との水道料金に格差があるという大きな問題を抱えたスタートであった。この問題は遂に14年の長期間解決できなかった。
●・・・昭和30年2月10日簡易水道から上水道事業に変更すると同時に、第2次拡張事業の認可を受けた。・・・昭和32年4月、拡張に次ぐ拡張を強いられ、乏しい水量を京都市水道からの分水で補っているとき、京都府教職員互助組合住宅長岡町区域14戸の住民から、強い給水の要望があった(長岡京市は昭和38年7月給水開始)。”現段階では町外へ給水する余裕はない”とする議会の意向が強く、当時の町長はこれの対応に苦慮したが、生きて行く上の水であるという人道的な立場と隣町との友好関係を考え給水することとした。
●・・・第3次拡張事業が意図した最大の目的としては、事故や停電などによって水源地からの送水機能が停止した場合の住民に対する生活用水の確保対策として自然流下による水圧の安定と水量備蓄のための大型配水池の設置であった。

 京都市水道からの分水は、京都市樫原地域を中心として急速に住宅開発が進み水需要が倍増したため時間帯によっては、主たる給水区域の物集女、寺戸の一部で水圧が極端に低下したり、接続点で向日町の水道が京都市域へ逆流するという現象が生じたので、昭和33年6月末には既にバルブを閉鎖していた。一方水源地では年々取水、浄水施設の整備拡充をしてきたものの西向日浄水場は、地形的に標高29mの高さしかなく、地上18mの高架水槽は容量が144㎥で需要量に見合う給水能力には程遠い存在であった。

 その上、老朽化による腐食も甚だしく鉄錆からくる水質悪化の要因ともなるので、この頃は殆ど使用していない状態であった。従って、自然流下による配水はできず場内配水池から送水ポンプによるピストン運転を強いられていた。配水池から自然流下による配水をするためには、町内の高地を物色しなければならないが、水源地からの送水管布設経路や用地の広さなど技術的、経済的な面から種々検討がなされた。

 白羽の矢が立ったのは、向日神社の境内地で社殿の北側にある小高い丘が標高約65.9mあり、この場所を候補地として決定した。明神山(通称高山)は向日神社の所有地であり戦時中は防空監視硝があり・・・神社側の理解と協力を得て用地確保の目途はたった・・・(明神山は、発掘調査の結果、1,500年前の古墳であり、元稲荷山古墳いう名称が付された)。3拡工事でもう一つの特筆すべき事項に鶏冠井地区への配水管布設工事がある。鶏冠井区の阪急と国鉄東海道線に挟まれた旧集落は元来地下水が豊富であり、各戸に井戸を持ち、自噴する共同井戸を10~20戸単位で共有し、水質も非常に良く水に恵まれた地域であった。

 従って・・・水問題については比較的冷静であった。しかし、鶏冠井区以外は着々と配水管整備が進み給水範囲が広がってきており、鶏冠井地区内でも住宅新築予定の人達などから水道整備を希望する声もあがってきたので、昭和34年11月10日付で鶏冠井農家組合長から町長宛に上水道敷設請願書が出された。町は、請願にもとづく鶏冠井地区の配水管工事をするためには、当初計画の変更を必要とし、予算的にも単年度施工は困難であった。しかし地元は早期着手を希望し、堀方、埋め戻しは地元住民がやるという約束で実施することになった。
 
 第3次拡張事業は町営水道にとって画期的な大事業の1つであり、計画段階ではこの事業が完了すれば当分の間は水需要に対応できるものとして実施されたものである。しかしながら昭和43年をピークとする向日町人口急増の前兆として住宅建設ブームが既に始まっていた。
年表
昭和 4年 4月 新京阪急行電鉄(株)が西向日区域に住宅専用
水道建設。
    ・計画給水人口3,000人
    ・最大給水量260m3/日
昭和26年 9月 新京阪急行電鉄(株)より住宅専用水道の無償譲渡を受け向日町営として運営。
昭和29年3月 西向日区域外(第2水道)の料金制定。
昭和29年7月 西向日区域外(第2水道)に給水開始。
昭和30年1月 京都市より分水を受ける。
昭和30年2月 簡易水道から向日町上水道事業へ移行。
昭和41年3月 第2浄水場(物集女)竣工
(施設能力6,000m3/日)
合計施設能力9,000m3/日になる。
昭和45年2月 第3浄水場(物集女西)竣工
(施設能力21,000m3/日)
合計施設能力30,000m3/日になる。
昭和60年3月 上植野浄水場竣工(施設能力6,000m3/日)
合計施設能力36,000m3/日になる。
平成1年8月 向日市水資源対策審議会より「向日市における地下水の保全対策について」の答申あり
安全揚水量を指摘
      物集女地域 12,000m3/日
   上植野地域   3,500m3/日
平成11年6月 京都府営水道受水量協定締結
平成12年度~14年度   6,350m3/日
平成15年度~17年度  11,000m3/日
平成18年度~       12,700m3/日
平成12年10月 京都府営水道受水       6,350m3/日

現在の施設能力
上植野浄水場(6,000m3/日)・・・休止
第3浄水場(物集女西)    21,000m3/日
府営水道             12,700m3/日
           合計     33,700m3/日


(水道の歴史)
事業計画と料金改定
水道料金の変遷
京都府営水道受水までの概略
水日吉ダム・乙訓浄水場等建設費負担基準
向日市水道史